現地経済紙が報じるところ、ベトナム最大手の不動産企業であるビンホームズと、HCM市で初の大規模な先進的都市開発を行ったPMH(フーミーフン=富美興)が関係する一連の数十億規模の大規模開発プロジェクトの背後には、何と日本の「巨人」の姿があったという記事を掲載していたのです。
PMHとはHCM市と台湾の政府系の中央貿易公司との合弁企業で、HCM市郊外にある現7区に巨大な副都心を造る計画から始まりました。開発開始から既に30年経過するが、今では外国人が多く住み、国際コンベンションホール、スーパーに外資系ファストフード店などの生活利便施設に、学校という快適な新都市空間を創るため、海外の有名設計会社に委託して、広大なマングローブを切り開いて造成、当時としてハイエンドの戸建て住宅や高層アパートを建設、初の都市計画によって作られた街であり、ゾーンを明確に分けるなどベトナムの他の都市開発や超高層住宅建設のお手本となった。
要するに、わずか30年程前だが国内にはこのような企画や設計・施工管理ができる事務所に人材、ゼネコンは無かったのです。PMHにはハーバード大学を出た中国人の建築担当が居て、共産党系の中国建築という大手のゼネコンが施工と監理を担当していました。
だが住まいに関するノウハウを持つ者はPMHのスタッフと言え一人も居なかったしベトナム人スタッフなどさらに酷かった。設計に施工方法の違いはあるけれど、これを除外しても建造物と設備、使用した建材の品質は全く評価できると言えないくらい安っぽいものだが、最も記憶に残っているのは、24時間フルタイムで敷地内外や出入りする人物を厳しく警備する態勢。彼らは制服を着用して仕事をこなすが、住人にはフレンドリーだった。日本のリタイアしたマンション管理人など覚束きません。
ビンホームズは言わずと知れた、今ではベトナム最大、飛ぶ鳥を落とす勢いのコングロマリットであり、ビングループの不動産開発を担当する企業。創業者であるファム・ニャット・ブオン氏はベトナムきっての大富豪でも有名な人物。
ロシアに即席ラーメンを売った金で創ったというニャチャンの海浜リゾート・ビンパールで大成功を収め、これを足掛かりに小売業にも参画、アパートなどにも次々と食い込んで行きました。
念願だったベトナム初の自動車産業をハイフォンで開始したが、これは政府の肝いり案件であり、政府の補助金などでのし上がったけれど、所詮はベトナムの得意な部品を寄せ集めて組み立てる産業でしかなかったのです。
現在でも作るだけ赤字が出るけれど、それはグループや会長個人の懐から補填するという。何処が社会主義の国なの、なんて思わせる腹の太さ。
インドや近隣アジアに手を伸ばし、社歴が浅く世界的には技術力を認められた訳でも無く無名。何処までブランドが浸透しているかに関係なく、アメリカにまで売り込もうとする貪欲な姿勢は粗っぽく映り、怖いもの知らすなのか。
SANPHAM VIETNAM LA CHAT LUONG CAO(ベトナム製商品は高品質)なんて呼ぶが、社用車として乗る在住者は張りぼてという位。初期のモノか?
規模は拡大する一方で、アレコレと食指を伸ばしているけれど、中には失敗もあるけれど性懲りもなく続けているが、表面的には大会社であろうが、実際は個人商店から全く抜け出せないベトナム(私的所有)企業の現実を見ます。
似非資本主義の申し子、資本と経営の分離などは行われていないのがこの国の企業の問題。殆どの株式は身内かその関係企業で占めているから、何のために株式市場があり公開しているのか分らない。だから自由気まま好き放題、湯水の如く金を費消。気の向くままに世界に打って出るなんて、前近代的であり、形を変えた資本家の典型的な労働搾取でしかないのが問題。社員への福祉策に利益還元、一般株主や社会全体へのCSや貢献をどう考えているのか。
さてこの記事は大手新聞には書かれていなかったが、野村不動産はベトナムの巨人と静かに握手し、巨大プロジェクトに数十億ドルを注ぎ込み、ベトナムを主要な国際市場にした。だがこれらの裏には慎重な投資戦略と長期的ビジョンがあると伝えています。
記事には覚書の調印式に野村不動産の会長など、ビングループのブオン会長が出席して満面の笑みを浮かべている写真も掲載されている。
野村はハイフォンに一早く工業団地を造る予定があったのです。だが日本国内での不祥事があって断念、他社に譲ったけれど、実はこの時、ベトナムで初の証券取引所が開設される予定があり、これを野村が仕切ることになっていた。
しかし社会問題の大きさでシンガポールがハノイ、HCM市の取引所を指導、ノウハウなど全くなかったベトナムに証券とは何かを教えて行った経緯がある。
筆者が咄嗟に思ったキーワードはハイフォン。ビンの自動車の生産工場があるのはこのハイフォン、歴史的にもベトナム最大の港で、日本の船舶も利用していたしベトナム戦争でもよく出て来る。あの桜井よしこさんがハノイで生まれ、母親が彼女連れて日本に引き上げたものこのハイフォンから。生家探しに訪越した際に偶然ホテルのロビーでご両名が座っておられたのです。
どうもこのハイフォンが共通のワードであり何らかの関係があるのではないか、と考えているのです。
野村は2015年にベトナム市場に参入した。爾後は30000戸以上に及ぶ規模のアパート、多くの商業用不動産を保有するポートフォリオに参加してきたとある。そして彼らの戦略は、現地市場のトップ企業と提携することにあるというけれどそこは証券屋、流石に長年培った調査分析力には強いものがあり、他社には引けを取るものではありません。
となれば、京阪は撤退したけれど、西鉄、阪急阪神やこの他に住友など商社系が現地で不動産開発を行って顧客に絶大な人気があるけれど、実はそれ以上に開発に関しては実績を持っているという訳です。
南部ではHCM市が鍵としており、野村と三菱の合弁企業はMVIベトナムの株式80%を買収、ビンホームズと2カ所の分譲地の開発のため13兆VNDという最大規模の開発の乗り込んだとあります。
またHCM市でのPMHとの開発協力だが、住宅ではPMHミッドタウン案件の開発。これに加えて市内中心部のAクラスのオフィスビルにも進出。元々は福岡・お仏壇のハセガワが清水建設に依頼して建てたゼン・プラザ、当初計画は事務所ビルだったが、当時は需要がないと判断して百貨店に改装、このためEVが変な位置に設置。実は資金繰りで売却したかったけれど、買い手は付かなかった。このマネージャーは大学の後輩で良くしてくれたけれど転職した。
また丸紅は清水建設に建てさせた目抜き通りグエンフエに面したサンワタワー(JV)があるが、此処の株式を24%保有しているというのは水面下で確実に動いていたからとは驚く。
北部でも野村は大規模な開発案件がある。最も注目すべきはハイフォンのビンホームズ・ロイヤル・アイランド事業案件で、約10兆VNDを同グループがつぎ込んだとある。
野村のベトナムでの戦略は、国内最大の大手不動産開発業者と手を組むということであり、その合弁事業で利用可能な土地と相手ブランドを活用することにあると現地経済紙は分析しています。しかしまた単なる投資ではなく、相当な比率でプロジェクトに参加しており、ビンホームズの大規模プロジェクトでは80%と高いとしている。もちろん国際的に収益性が高い他国も含めてという多様化の一環であり、ベトナムはそのひとつにすぎないという訳です。
これは相手先ビングループにも好都合、何しろ本業の不動産に大規模小売店舗は良いけれど、国策と言ってもよい自動車は問題児で赤字の垂れ流し。海外進出を目論んでいるが社歴は浅く、海外経験に技術力が伴わないし、世界的には全くと言って良い位にブランド力と信頼性は無い。当面は資金キリに追われるので野村の不動産部門への参入は願ったり叶ったりと言える訳なのです。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生