物つくりに必要な電力。かつては不足が生じ日常生活に困るほどの計画停電がありました。政府は日本などが支援して火力発電所を建設、北部では巨大ダムを建設して水力発電も行なっているが、この所の酷暑に加え、経済的に豊かになったため家電製品が普及して電力消費はうなぎ上り。瞬く間に足りない状況に陥り売電で凌ぐ悪夢の計画停電が再開。
このままでは経済復興とか、サプライチェーンのベトナムへの移転などと言っているけれど、たちまち電力インフラの未熟が露呈し操業停止。となれば折角のチャンスが消えてしまう可能性もあるが、この所は声高に聞かなくなった。
そうした中でクリーンエネルギーと言われる風力発電や太陽光発電も従来から稼働しているけれど量的には僅か。
そこに来て脚光を浴び出しているのが、新しいエネルギー形態。すなわち石炭・石油という二酸化炭素を輩出する化石燃料から水素、アンモニア、バイオマス、天然ガスへの転換。前項でなぜ大阪・関西万博の話題に触れたかだが、ここに活きて来る。
即ちPDP8と云われるベトナム国家電力基本計画の促進。外資系企業は一早くこれに着目。ベトナムで再生エネルギーを生産、或いはクリーンエネルギー電池を製造して輸出を考えています。
ところが動きを見せないベトナム政府。世界会議ではクリーンエネルギーをもっともらしく、如何にも積極的に採用すると発言しているがパーフォーマンス。国内では2021年からの電源開発計画を成すものであったが、現時点で2年遅れています。報道ではこの間に幾つかの案件が取り消しに成るとか停止した。だが今年になって正式に決定された案は書き換えられ、当初案よりボリュームの増えた目標が設定されているとあります。
その内容とは、再生エネルギーの割合が当初よりかなり増えているという点に注目が集まっている。作成が遅れた結果、世界の情勢が変化しベトナムが対応できたということで、結果は怪我の功名だったわけだが、問題は実行力です。
・第8次国家電力基本計画
今年5月、ベトナム政府は2021年~2030年の電力開発指針を承認した。これが第8次国家電力開発基本計画でPDP8というもの。これは15日付の首相決定で交付され、即日発効しています。
報道によると、脱炭素化、エネルギー転換を求めている国際世論の高まりの中、またウクライナ問題に端を発したエネルギー高騰などに拠って、先に策定した計画の修正や見直しの結果、交付が2年遅れたとする。だが姿勢が高くても、積極的に取り組み成果が出ないと絵に描いた餅という評価もある。
このPDP8では、計画期間の実質GDP成長率を年平均で7%とし、この間の経済成長に必要とされる電力を間違いなく供給できるように設定している。
そして、そのうえで2050年までの温室効果ガス排出量の実質ゼロ化を推進するための長期ビジョンを策定しています。さらに2030年までに予定している発電所、送電網の計画を入れているとされている。
これに拠ると、2022年度における発電設備の容量は8万メガワット強なので、あと7年間で7万メガワットを供給できる発電設備を要求されるわけだが、果たして僅かの期間にできると思っているのだろうか。またこうなると、これまでのように火力発電所建設に頼るとするならば逆行、時代錯誤は明らかです。
一番の問題はこれら整備に必要な資金。現在の試算に拠れば2030年までに1347億ドル、2050年となればさらに約4000億~5200億ドル強とされるが到底これでは収まらず、今までの経緯を見ても何にしても予算は大幅に膨らむが、最後には外国投資やODA頼みとなるのが見えている。
ベトナムは河川形態から見て水力はほぼ不可能。となればこれまでも建設してきた陸上での風力発電、LNG液化天然ガスでの発電所の開発が求められる。さらにバイオマス、廃熱利用の技術を活用するとあるが、かつて大阪市に何度も来たHCM市ビジネス界に、市の最先端ごみ処理施設視察を提案したことがあったけれどそのまま。時勢とタイミングが一致しなければ無意味。
また日本のこの分野でプラント建設実績を持つ大手企業が一早くベトナム進出に目を付けた話もあったのだが、その様な時期でなく何時しか沙汰闇になった。
要するに技術的な問題を解決できる絶好の機会はあったが、海外事情を殆んど知らない行政。さらに導入したいけれど資金的に無理。これが問題なのです。
この間に日本はODAで火力発電所建設を支援しています。
また政府が推奨するのは各家庭での太陽光発電。2030年迄にオフィスビル、住宅の50%に屋上設置型の設備を採用する目標を盛り込んでいる。だが二重窓や複層ガラスなどの断熱建材は自国生産できず、工業力の弱点を呈している。
筆者は現地で電器とインテリアなど、建築の事業をして来たが、すでに20年ほど前でさえ太陽光での温水器があったし、一般住宅用の太陽光発電の設備もあった。特に南部では気候上からも極めて有効であり一部の富裕層で利用していたが、日本のような風呂を使う習慣はなくシャワー。食器類も湯を使う習慣はない。まして電気代に金を掛けられる家は多くなかったので、殆どの家庭では誰しもが桶に水を汲んで頭から水を被るのです。したがって普及することはなかったのだが、資金補助や融資問題を併せて実施しなければ人は動かない。
因みに、この当時日本のメーカーもまた進出してこなかった記憶があります。それどころか、無限の太陽の恵みを受ける以外、必要とされていたのが上下水道設備というインフラ整備。これに関しては、大阪の企業が熱心で現地の水道局に案内したけれど、問題は資金。日本の技術が確かで優秀なのは分かるが、次に金は無い、が必ず出る言葉。これにはODAで、と言う外なかったのです。だがこの企業へはHCM市から若手技術者が研修に来ていました。
太陽光パネルは今や中国製が多いけれど、日本企業にとっても今回の計画推進の中で環境処理プラントや発電施設などの進出可能性はあり、海外メーカーにも太刀打ちできるだけの技術力はある筈です。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生