一度は見ておきたい トンネルの要塞に行ってみよう

2020年7月15日(水)

ベトナム戦争中に米軍や韓国軍が無実の民間人を虐殺した事は先に書きました。理由のひとつに、昼は飄々とした貧しい農民の姿で田畑を耕し、夜になると凛々しい顔に変わってゲリラ活動をする。見分けが付かない民族解放戦線への恐怖があったからです。この民族解放戦線とは南部に居ながら社会主義思想に共鳴して当時の北の政府に協力する人達で、一般的にはベトコンと呼ばれました。即ちベトナムのべトと、共産を意味するベトナム語読みのコンサンのコンを組み合わせたのですが、メコンデルタ・ベンチェ省で蜂起しました。
彼らが行動する上で切り離せないのがトンネル要塞。有名なのはホーチミン市のクチトンネル。市内から約60キロ、バスで一時間半程度。昔はのんびりと狭狭い地道を行き、途中のピーナツ畑で採りたての生の味を楽しんだものです。
クチトンネルの北がタイニン省。北の物資を南に届けるホーチミン・ルートの終着点でした。かつて日本軍に協力したカオダイ教の本部があります。
誤爆で背中に大火傷を負った少女キム・フックさんも信徒、クチ県のPHO屋を営む家庭に生まれました。ツアーでは両方を観光できますが、昔は彼女の家があった付近で新聞記事を回し読みしました。この道はカンボジアに行く国道。国境までは僅かの距離、今は完全舗装され国際バスがプノンペンと往来します。
クチトンネルは総延長250キロ。中には病院、台所、託児所、印刷所、武器工場などがありました。内部は観光客に一部公開されていますが、これは大柄な欧米人でも見学に内部へ入れる様に配慮して広げて大きくしたもの。本来のサイズではありません。実際は体が小柄で華奢なベトナム人が使うため、通路や生活場所は天井が低くて狭い空間だったと言います。
此処を観光資源に活用をと提案したのが人見三喜男さん。大阪の日越経済交流センター創始者で、彼はこの功績で初のHCM市の名誉市民になっています。JR労組を退職後、ベトナム国鉄と交流があったため話題にも戴らない日越の民間交流をいち早く始め、ライフワークとして資金と心血を注ぎました。
この地域は粘土層でできていますから、内部に入ると空気が通らず、常に蒸し蒸ししており暑くて耐えらない。泥にまみれた穴倉、暗くて生活する環境としては劣悪で病気にならない方がおかしい。観光で少し回るのさえ辛く厳しい。
内部の施設。台所の煙が発見されないなど工夫がされています。しかし病院も保育所も単なる横穴の一部、衛生状態もいい筈はなく10人に1人は亡くなったといいます。展示コーナーでは近代的な武器を持たなかったため、竹などで作った武器、落とし穴や様々な原始的とされる仕掛けた罠で迎え討ったとあり、それらを見る事ができます。実に米兵の戦死者の一割は、こうした非近代的な武器と恐怖のワナが原因で、苦しみ抜いた挙句にボディーバック入り。バカにできません。ケネディーは本気で軍靴に鉄板を張れと指示したが無意味なこと。

もうひとつ有名なのが、フエから約60キロ北上したクアンチ省にある海岸縁の崖に造ったビン・モック・トンネル。此処も観光用に公開されていてフエからの戦史ツアーで見ることができます。このトンネルもクチと同じような規模、内の構造はよく似ていますが固い土質と岩で堅固。海側の崖から新鮮な空気が通るので生活環境はまだ良いかもしれません。このトンネルの持つ重要な役割は海上の敵艦船の様子がつぶさに監視できる事。まさに17度線での緊迫した最前線の重要なトンネル要塞だったのです。随分前にはNHKが取材して放映していますからご覧になった方も居る事でしょう。DMZ(非武装中立地域)とラオスに接したクアンチでは多くの激闘が繰り広げられました。激戦の地となったケサン元米軍基地も近く。アシャウ渓谷ではハンバーガー・ヒルが実話映画になり、余りの凄まじさゆえに戦争反対へと向う切掛けになったそうです。
クアンチ省はベトナムで海岸から国境まで一番距離が短い場所があり、最短部で50キロしかありません。ラオスへはバスがフエから国道1号線を北上してドンハの町から東に90度折れ、国道9号線を走って国境を越えサバナケットへと向います。ドンハを出るとすぐに山中の坂道に差し掛かりますが、途中には枯葉剤散布で植生がなくなり地肌がむき出た山塊の姿を目にします。やがて北の補給路であるホーチミン・ルートの入る吊り橋に辿り着きます。
ツアーでは銃撃戦でボロボロに破壊された教会跡も見学しますが、ネルソン・デミルの大長編小説「アップ カントリー」の舞台になった教会だと思えます。一通の手紙から、戦争中に教会で米軍中尉を射殺した犯人を特定する特殊任務の物語。大統領選絡みの驚愕サスペンス。突如候補を断念した疑惑の人物ボブ・ケリー上院議員だと推測できますが、明らかにしていません。

またHCM市の南部にあるカンザー地区。此処は広大なマングローブの一帯で、鬱蒼とした木々と淀みに囲まれており、昼なお薄暗くて深いジャングルの湿地は上空から見通せませんから、此処にもベトコンの基地がありました。湿地の上に木を組んで作った施設が橋で縦横に結んで復元してあり、小舟で行きます。
当時に食した簡素なキャッサバや小魚のつくだ煮などを再現して試食、蒸留酒も試飲(今は有料)することも可能で興味深い。クチより一層リアル。密林のカモフラージュできる小屋では、タイヤで作った有名なホーチミン・サンダルなどが売られています。実際に此処で戦争を体験した語り部の話を聞くことが出来ます(VN語のみ)が、高齢化で何時まで続けられるのか。
特別な観光地ですが、サイゴンツーリストのホテルがあり静寂な夜を過ごす事も可能。また道路が良くなり一日ツアーでも行ける所です。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生

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