ダラットとニャチャン 二都のちょっと変わった話

2021年8月30日(月)

テレビを視ていたら新しい観光地とかで山中の長~い橋が映っていました。
大きな手をモチーフにした橋桁。なるほど見晴らしは良さそうで、バーナーの新名所として人気がある。だがなんでこんなものが!自然環境保護の観点から最悪、こんなのによく似た客寄せの手法がリゾート地に増え過ぎて興覚める。
ダナンの直ぐ北にある「バックマー(白馬)国立公園」内、標高1487mのバーナー高原。かつてフランス人の高原保養地だったが寂れたままでした。
下界と異なり涼しくて清冽静寂、雲上の別天地。ベトナム人でさえ一部の人や社員旅行などでしか利用しなかった場所で、在住外国人にしては殆ど知らない隠れた穴場でした。
が!全長5042m、標高差1291mの世界記録を持つロープウェイが造られて整備が進み脚光を浴びている。
ランコーにある旧友の別宅に行った時、今度行ってみようと話をしたまま暫くして彼は自宅のあったフエから帰国。ほどなくして病を得て、行かず仕舞。

・ダラット 魅力の高原都市

フランス人が開発し頻繁に利用していた人気保養地とは、彼の有名なダラット。
鉄道まで通しましたが廃線。サイゴンから320キロとバックマーに比べると行き易かったと思います。一部の別荘は残されており、現在ホテルなどに活用。数棟ある一戸に心地よく宿泊できて食事も満足請け合い。
見事に松林に溶け込んだ風格ある住宅だが、かつて安いけれど買い手が無く荒れ放題のままに取り壊されました。今は歴史ある建築物保全のため売買禁止。
林芙美子が朝日の特派員で当地に滞在。往時の雰囲気と変わらない浮雲の世界。

4年ほど前のこと、この地で生活している若い女性を主人公にしたTVドラマがありました。日本のTBSとの共同制作。ダラットと東京を結ぶ「Khuc Hat Mat Troi(太陽の歌曲)」。美しい風景を背景に女性シンガーソングライターが太陽を浴びると死んでしまう病気に突然罹ったのです。
ダラットを訪れた音楽プロデューサーの日本女性(松下奈緒)を頼って渡日。この病気の権威に診察と治療を依頼するつもりで東京へ。医師はカルテを見たが手遅れで適わず。
プロデューサーの計らいで、念願だった日本のコンサート会場で自身の曲を歌い終えた直後に倒れてしまうという粗筋。会場は声もなく驚きに包まれる。
シナリオは出来過ぎ感が歪めないが、口論や争いが多いベトナムのTVドラマにしてはシリアス。品のある秀作でした。
日本でのロケ、情緒ある温泉宿に泊まり日本の文化も披露。綺麗に仕上がっていました。ピアノが上手な松下奈緒は適任。(日本では放映されていません)

・ニャチャン

ダラットから南下してくればニャチャンに。ツアーバスがありベトナム三大峠のひとつ、国道20号線にある急峻なディラン峠(Deo D`Ran)越えがいい。
途中、日本が戦後賠償で造ったダニム発電所を遠目にして一気に下ります。
この建設は日本工営。開高健の作品にも出てきます。

ニャチャンには前に触れたので、今回近くにあるカムラン湾の話。
露バルチック艦隊がツシマ海戦を控え、長旅の休養と補給のため停泊を試みたが英国の通牒で日本が国際法違反と通告、不可能になった逸話が。
第二次大戦時の日本海軍「キスカ島 奇跡の撤退」(将口泰浩著)にもカムランの事が書かれています。

戦争の終盤、日本の戦局が悪化をたどる中、当時仏印南部、このカムラン湾に帝国海軍第二水雷船隊の重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻が停泊していました。1948年12月24日、「礼号作戦」と名づけられフィリッピン・ミンドロ島に停泊中の米艦船と陸上施設への攻撃命令を受け出撃します。
この島は日本軍の「特攻」専用に使われていたが、先の15日に米軍が上陸し制空権と制海権を奪われていた中に突入する危険な夜襲攻撃。日本海軍駆逐艦が魚雷を敵艦船に命中させた最後の戦果でもあったのです。
戦果を挙げカムラン湾へ帰投中の出来事。連合艦隊司令部の方針は情け容赦のない「挺身部隊」。だったが、戦隊司令官は唯一隻出撃途中敵魚雷を受け沈没した軽巡洋艦「清霜」の現場に自らが戻り、乗組員を一人残らず救助したのです。この命令を出したが、奇跡の「キスカ守備隊撤収作戦」指揮官・木村中将。
これが彼の最後の艦隊勤務になりその後教官に転属します。

「キスカ」は50年ほど前に映画にもなり広く知られることになります。この際も救出作戦をあせる北方軍司令部に動じず、緻密な計算と沈着な行動で米軍を翻弄し、濃霧にまぎれて5183名を日本に生還させた話は有名です。
キスカ島は米国の領土。実質的に大きな意味はないが、実は外国旗を揚げられた事がないので米国にとって一時的であれ占領された屈辱の唯一不名誉の地。
隣島のアッツ島は1943年5月12日、日本戦史上初めての全員玉砕の地。
この先陣訓が軍部に悪用され、戦地からの後退・撤退が許されず、生きて日本に戻れない雰囲気を作ったのです。
先立つ4月18日に南方ブーゲンビル島上空で山本五十六が戦死。日本は後退の一路を辿ります。山本の死には様々な説があるがジャーナリスト・大野芳著の「山本五十六自決せり」は、当時の捜索者などからの聞き取り調査で詳しい。

木村中将の江田島での成績は118番中107番。卒業席次が一生付きまとう海軍。兵法の極意を軍人の理想として実戦現場を知り尽くし、権威にぶら下がらず「部下の身を守りながら敵の生命もできる限り奪わずにダメージを与える」ことに身を持って実践した真の将たる器を持った人でした。
軍略の天才石原莞爾も解任。明晰で優秀な人材が反対したにも拘わらず押し切り、調子に乗り将来を見据えない無能軍司令部が満州から中国本土侵攻を拡大。第二次世界大戦の戦火を広げる結果を招き敗退してゆきます。
いずれの国家、ビジネス社会、企業にも通じることで、現場を知る、有能な人が干されるのは永遠の理不尽・不条理は共通の様です。

意外なことに中国では過去の大日本帝国海軍のファンが多いそうで、IJNと呼ばれるらしいがIMPERIAL JAPANESE VAVYの略とのこと。中国で危険が伴うのになぜ隠れファンが居るのかと言えば、西欧諸国に死を恐れず真正面から果敢にぶつかったのだとある。
さらにアニメの影響。宇宙戦艦ヤマトなどを見て、この中に戦艦の名称が登場する。この名称が格好いいとも言います。
真の勇者は無駄な戦闘を避け、逃げるのを厭わない賢者です。

このカムラン、市内にあった空港が移転。遠くなってしまいました。
知人の姉が日本の製薬会社でこの地区を担当。ベトナム人女性上司は日本留学経験がありビジネスにも精通。厳しいが為になると話していました。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生