ボランティアについての考え方と海外現場の難しい実態

2020年8月31日(月)

日本人のボランティアへの参加が積極的。災害が起きる度に休暇を取り自腹で現地へ赴き汗を流す人が増えています。意識が高くなった背景には一部で特別休暇を認める会社があるし、学生は部活等で被災地を訪問など様々な活躍をしていますが、社会意識が醸成されてきたと考えます。
若年層の減少と住民高齢化等が重なり自力での片付けは不可能。残滓の清掃など力仕事を引き受けて感謝され、その連鎖が拡がるのは良いことです。
ボランティアは任意、自発的行為。手段を問わず自由意志で夫々が出来ること、能力の範囲でやれば良く、何ら難しく考える必要はありません。
HCM市の日本総領事館が開催した草の根交流資金説明会に参加した時、総領事は日本でボランティアが根付かないのは、無償の行為が当然と考えるからで、アメリカの様に経費や報酬が支払われて然るべき。日本的な奉仕に拠るとする思考には限りがあると話したが、これも実に正論。
昔、大阪心斎橋の大丸百貨店前。年末だけ救世軍が社会鍋を置き募金、喇叭を吹くのが名物風景。困窮者に全額寄付する団体がありました。
また赤十字社の赤い羽根などは集金システムが機能しているし、テレビで放映される個人を対象にした子供の支援活動などは、経費は差し引くので100%支援金に回らない。如何にもお涙頂戴の募金元の広報内容を精査し惑わされない様に納得して応募すべきです。
しかし金は天下の回りもの。何らかの形で困窮している人を応援しようとする想いや形は様々だが、世の共通する所です。

ベトナム。近年経済成長で生活は豊かになって来ました。しかし実際には経済格差が拡がり、地方から都会に出て来る人は未だに多い。良い生活が出来るとの期待感はあるが現実は甘くはなく厳しい。仕事にスキルは求められるが手に職や学歴も無く対応できません。字を書けない親もいる程です。実際に住む所と言えば郊外の棟続きの簡素な長屋。一室3畳ほどに数人が暮らすが、造作は簡素で暑くて雨音が煩い。水道やトイレがあれば良い方で共同の場合も少なくない。仕事は建設現場の雑役とか宝くじ売りのその日暮らし。医者に掛かれず、何かと金が要る学校にも行けない現実が繁栄の裏側にあります。
こうした子供に勉強を教える施設、孤児を受け入れる寺などがあり、夏休みなど日本から多くの学生が支援にやって来るとか、帰国の度に家族知人が集めた衣類や文具、様々な遊び道具など持ち帰ったことも。これ等は全てが自費です。
現地で私が関わったエピソードのほんの一部を切り取り紹介しますが、続ける間に問題が生じるのは必然だし、実施には社会主義国である難しい一面もある。
・自宅近くでF氏夫妻が運営していた小学校。地方から来た子供はHCM市の戸籍が無く、公立小学校に行けないため、先生を雇い勉強を教えていました。日本人Fは稼ぎに帰国。私と友人は子供にやれば稼げると言う意識と自信が大切と考え、材料負担と日本から教本を持って来てビーズ細工をさせ、1個5千ドンで引き取り。知人の大学教授は英語の学習費用を出すなど、多くの人が手伝いました。だが外国人が関わると公安が時折監視にやってくるのが煩わしい。
大阪の学校関係者が来た時は偶然にも高校の同級生が居る教育委員会。この市の小学校と交流する事になり、何度か作品等を送り合い交流しました。時が経つと次第に余裕が出始め、日本の古着、と言っても綺麗なブランド物より新品がいいと要求がエスカレート。知られ始まると金が集まりVN人の奥様も日本へ招かれて講演する。一部は奨学金にしたが、時は不動産バブル。欲ぼけFは出稼ぎを止め、家を建てるためT氏に借りた金を返さないお決まりの問題発生。
F夫妻は協力者を悉く裏切ることに。初志貫徹は難しい。歳も歳、潤沢に成るほど世話が面倒でアホらしくなり、欲求は物から金に変わるケースは結構ある。日本人は弱者に対して優しく募金は集まる。会に邦人が居れば尚更安心する。

・日本料理店のK氏から、大学生が来て地元の小学校でボランティアしたいとの相談。だが此処は社会主義国、簡単でないため教会関係の民間施設を紹介。此処は主に日本人の募金で運営、奨学金もあります。夏休みに各大学から成るサークルの学生20人位がゲーム等してくれました。施設は日本人と主人の牧師が始めた所で現地在住者も支援。休暇に入ると学生が来越し何日も滞在して日本語を教えるなどの活動をしてくれます。ある時九州大学の学生が来て帰国した数年後、APUに入学したVN人からSOS。この時メールした担当者がこの学生。国際的な仕事がしたいと言っていた彼女。縁は何かしら繋がります。

・盆踊り大会を開催してみたが実際は在住者有志の発案。だが公式には認められないため、日本総領事館が窓口になり日本商工会主催となる。仕事しながらの様々な手配、スポンサーは無く時間と費用負担は結構辛い。踊りを覚えて当日に浴衣を着て踊る協力者は貿易大学日本語学科の大学生。何度もVJCCで練習するがその見返りは一切ありません。日本の文化を知るだけでもと言う純な気持ち。新聞2社の友人に来て報じて貰ったが、日本人だけ集まり地元との融合は全くなく、それ以外の参加は認めない。利するのは故国を離れた日本人学校の生徒か滞在者の子弟。だが商工会の手伝いは当日のみで、多くの駐在者は3年前後で帰国だし、単身者は興味が無く、学校長によっては協力的でなく上から目線で来る。海外日本人社会のハイエラキ―そのものの縮図です。後日、実行委員の検討会が開かれ、続けようと考える人はなく3回で残念にも終了。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生