プノンペンとシェムリアップ ニ都物語 カンボジア①

2021年4月5日(月)

コラム191でテトの過ごし方を記し、ベトナム在住の邦人でも帰国しないで隣国に行く方がいると述べました。しかし欧米人はアジアの持つ神秘性に興味が旺盛。帰国する方が高く付くので、この時節カンボジアやタイなどに行くと話していました。隣国でさえ人に文化や歴史、民俗習慣、宗教が国境を一歩跨げば随分異なるのは面白い。
この時期ベトナム国内の旅行は何もかもがテト料金。有名観光地へ行きたいが、鉄道も飛行機も座席は取れないし、普段は人が来ないようなホテルでも料金が2~3倍にも吊り上げている。またローカル・ミニ・ホテルを予約していても、ダブルブッキングしているなど不愉快に思う事が実際にあります。私は従業員の部屋に寝かされましたがもちろん綺麗でない。それでもしっかり料金は取る。
またレストランなども値段が上がるのは昔の日本と同じです。

この所ご無沙汰して足は遠のいているが、かつてバスや飛行機でカンボジアに入境した事があり、この際の状況に触れてみます。飛行機ならば1時間ほどであっと言う間。だが日本人が余り経験しない陸路の国境越え、バスでのんびり行く事をお勧め。空から鳥の目でなく、道なりに魚の目・虫の目でしか見えてこないものがある。大地を踏み、肌と匂いで本当の旅の面白さが感じられます。
このところの若い人はこれを知らない。ネットやSNSを頼り過ぎ。アナログだが自分であくせくしながら調べ、見知らぬ土地を散策、例え言葉が通じなくてもガイドブックを信頼せず、足と勘(六感)で探る楽しさを感じて欲しい。
また現地の自然にも触れてこそ次第に感覚が研ぎ澄まされ、善し悪しの判断も分り一回り強くなると考えます。
初のカンボジア体験は、まだアンコールワットが世界遺産でなかった頃だが、2004年に登録されてから急速に団体観光客が増加。2・3度目に行った際は人が増え、かつての素朴さが失われているのを感じ興覚め。何にしても有名になる前に旅しておくのが良い様です。

・カンボジア

中国から支援を受けて急速に成長しているカンボジア。人口は1555万人位でベトナムの約16%。面積は18,1万平方キロ、日本の半分程度。
表面的には自動車が増え道路も良くなり、外国人が住めるアパートやオフィスビル等が増えていますが、慢性的な赤字が続く状態。貧困率は急減しています。このためフンセン首相は中国に依存。民主的な政権運営は出来ず人権問題になり欧米から非難されている。首都プノンペン以外の地方との格差は大きい。
工業は未成熟であるが、このところ繊維・アパレル産業が急速に伸びており、日本への輸出は靴・履物、繊維製品が主力で輸出超過。日本企業進出はイオンなども、増えてはきたがまだ多くはない。
ここ数年の動きは中国が大きな投資を行い、また橋梁や高層住宅やビルなどのインフラ建設を行っており、かなり経済的支配が進んでいる様に感じます。

HCM市に居る知り合いが、プノンペンで事業を行おうとしたが思った以上にビジネスはやりにくい。それは教育の低さ問題。長期間に渡った内戦の影響がこんな所に残って影響しているのか、と思ったという。始める前にナンデまた?と諫めたが、人夫々でどこかに魅力を感じたらしい。
繊維産業がそれ程では無かった頃、これから伸びると踏んだのだが、結局僅かの間で撤退。ベトナムに戻って来ました。先走りの理由は色々あるけれども、これもひとつの事実です。

未だ農業国でサービス産業・観光収入に頼るところが大きいカンボジア。特にアンコールワットの世界遺産登録から、世界各地より観光客が押し寄せ収入も増えている。それまで人は疎らでゆっくり楽しめたが、かなりの混雑ぶりで雄渾さと歴史が感じられないのは残念なこと。
ひとつの数珠が手元にあります。一人で回遊している時の事、余り人が来ない廟の帰り際に一人の女の子がいて土産を売っている。その時に手にとったのが数珠。その子は「これが良いよ」と別のものを取って勧めてくれたのです。
成るほど他にない珍しい模様がある。ベトナムの子供みたいに客の取り合いやガサツさは無く、アレコレ勧めない。多分自分が気に入っていたものだろうが、淡々とした表情。純な心根に惚れ込んで意のままに。学校へ行っているのか、どんな家庭かなど思いを馳せるが、教育でこんな清々しい振る舞いはできない。
数珠を見るたびにこの時の光景が鮮明に蘇ります。もう20歳位になったかな。

・ローカルバスで行く旅の醍醐味

かつてはベトナムからバスで国境を越えると急に様相が変わり、凸凹国道は至る所で工事中、なかなか進まないし砂塵が舞って窓を開けられませんでした。これが今、中心部へはメコン河を渡る巨大橋が中国の囲い込み援助で架けられ、HCM市~プノンペン~シェムリアップ間の道路も、日本の援助で完成した橋以外に並行して中国が横に架橋、ほぼ快適な長距離バス旅行が可能です

橋が無くメコンの支流でフェリーが唯一の手段だった頃。順番待ちの合間に篭を山盛りにした物売りが入れ替わりやって来て、その地の珍しい特産物を手にして勧めてくれ、1ドルを出せば適当に見繕ってくれます。中に子供も居るが児童労働など野暮は言わない。いい加減さは微塵も無くありのままローカルな味と暫しの触れ合いが楽しめました。
国際バス路線だとアジアの魅力が満載の超異文化体験、最高の非日常体験が出来る極楽旅情が山ほど楽しめました。しかし日本がODAで橋を架けてからは早くて便利だが味気ない。やっと着いた!はるばる遠くへ来たものだと新鮮な感動の瞬間が無くなりました。
行き帰りが同じ運転手。途中の休憩所では店主が日本に留学したとかで飲み物を御馳走してもらったとか。日本が地雷除去で貢献してくれたなど、何気ない刹那の会話なのだが、ほっと心が和みます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生