『生きては住み 死して帰る:Song o Chet ve』
人生を考える時、天から与えられた人の宿命と努力の帰結に拠る‘因果応報‘の思想。即ち仏教的死生観で、今ある自分が直面する様々な問題は前世の為せる業の結果であり、来世は現世における善悪の行ないが結果として現れます。
『前世の負債を今世で払う:So phan kiep truoc phai tra Kiep nay』
『浮き草のように漂う:Nhu luc binh troi』
この二つはベトナム人の人生観を示すもの。大乗仏教の流れを汲んで90%が仏教徒。宿縁で結ばれた夫婦は各々前世の因果で結ばれ、互いに負債を負っていて、また現世の因果と負債が来世へと続きます。‘袖すりあうも他生の縁‘。
何事も日本人が考えるところの完璧無欠さ求めず、状況変化は何時でも起きる、従ってメコン河の浮き草の如く流れに身を任せなければ仕方がないと考えます。
無理してあくせくしても状況の悪い時に良い結果は出る訳がない、との論理。
別の言い方をすると、「自分は努力したが、何かのトラブルがあり出来なかった。これは自分の責任ではない」と都合よく言い訳、転化と逃避は日常茶飯事。
いい加減で無責任だと映るのだが、先の事など誰にも分らない。ならば降りかかる災難も何のその、余計なことを考えず日々楽観的な人生を過ごしたい。
千年間中国、百年をフランスに支配され、庶民はシタタカさを武器にひたすら宗主国の収奪と忍従に耐え続け、英雄と共に神出鬼没で戦った歴史と民族の血。他人を信じられず、明日の命さえ分らぬ人間の生きる知恵だったと感じます
南は豊穣の地。自然に恵まれ苦労せずとも贅沢さえしなければ気長に生きて行ける天佑、故に束縛される必要がない精神的自由があるのです。
同じ農耕民族で島国に住む日本人。神代より他国の侵略が無く平穏に国土が護られ、独自の文化が封建的家制度と共に発展し継承されてきました。戦時下には軍部の独走で民間人を犠牲にして名誉の玉砕が合言葉。全く相容れません。
『事を謀るは人に在り、事を成す天に在り:Muu su tai nhan、muu su tai Troi』 力を出し切ったあとは全て運を天に任せるのです。
最後には‘果報は寝て待て‘、天が決める事ということでしょう。と言って、折角の強運の星の下に生まれても、何等努力しなくても成功できるという事ではなく、行き着くところ本人のガンバリ次第では安心立命です。
『天あるも これも人にあり:Muon su tai troi』
ベトナムでよく聞くのは『Troi oi!』Troiは天のこと。なんちゅうこっちゃ!
とか、え~ウッソ~、何で! そんなん殺生やで、とかの表現がこれ一つでOK。便利な言葉。人は皆、天から与えられた宿命を背負って生きているのです。
日本でも、西郷隆盛が運を天に任せて奄美を船出した所が運天港と名付けられ、「天は我を見放したか!」と吹雪の八甲田、沈澱か雪中訓練で生死の分かれ目。
所詮彼の地でお世話になっている我々外国人。現地の風俗習慣に慣れるために重要な要素は、自から市井に飛び込んでこそ得られるもの。
いわずと知れた諺が‘郷に入れば郷に従え‘、『入家随俗:Nhap gia tuy tuc』。更に住めば住むほど愛着が湧くのは万国共通。『住めば都:O dau au day』はそのまんま。そして『寺の祭りを見たければ寺に行け:Xem hoi den chua』とは‘百聞は一見に如かず‘で、先ずは現地へ行って見る事が海外進出で重要。‘人間至るところに青山あり‘ですが、‘撒かぬ種は生えません‘。
先ずはどんな処か興味を持つ事から始まる。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生