ベトナムの諺⑤

2019年7月15日(月)

『まだ生まれていない子供の名前をつける :Chua de da dat ten』
‘捕らぬ狸の皮算用‘ 何もしないのに勘定ばかりするのはいけない戒め。
精進しても頑張っても『白い歯の牛を心配する :Lo bo trang rang』は無意味な事をする、‘骨折り損のくたびれ儲け‘‘糠にくぎ‘です。
『水を飲むときは源を思う :Uong nuoc nho nguong』
『実を食べると時は木を植えた人を思う :An qua nho ke trong cay』
表に出さないが「お世話になったあの人に」と恩義と感謝の気持は持っている。
本当の困難に直面した時こそ相手の真価が発揮されるということ。アジアでは頼る事への抵抗感はなく、事前相談なし、急に何でも勝手に?との洗礼が何度もありますが、思い立ったが吉時。
 
そしてビジネスに成功すれば、‘勝って官軍、負ければ賊軍‘ は当地も同じ。
『勝てば王様 負ければ賊 :Thang lam vua、thua lam giac』
まだ青雲の志が生きている。若い人の起業が続くけれど成功するのは至難の業。
失敗しても挫折感が少なく何度もやり直しができるのはこの国の美点。駄目元の大らかなポジティブ思考。大失敗すれば精神的重圧で立ち直れない日本人、社会復帰を認めないネガティブなわが国とは大違い。
と言え、全て順風満帆でないのは世の常、人の常。人生も商売も山あり谷あり、晴れも嵐もあり、騙し騙され、非常の裏切りに下克上。‘塞翁が馬‘はここでは『塞翁失馬 :Tai ong that ma』。期待してはいけません。
 
『男の偉業の影には常に女の影あり :Sau su nghiep cua nguoi dan ong、Thuong co bong Dang cua nguoi dan ba』。‘糟糠の妻‘ が居てこそ成功者。なのに喉元過ぎて‘内助の功‘ をすっかり忘れるのは何処でも男の持つ悪のカルマ。天文学的慰謝料を支払った例があります。
『食べるには場所が要る、遊ぶには友がいる :Au co noi, choi co ban』。
‘適材適所‘ 性格、能力、資質が違えば人の使い方とはどこも同じ理屈。
 
『飽食なのに目が飢えている :No bung doi con mat』
‘呉を得て蜀を望む‘‘長者富に飽かず‘ 人の欲には際限が無いという例え。世俗のしがらみから逃避、閑人になり梁山泊で晴耕雨読が最高。組織から反骨スピンアウトして孤高になった御仁は海外移住でスローライフが最高。または『大きい魚は小さい魚を呑む :Ca lon nuot ca be』 ‘長いものには巻かれよ‘ 何時の世でも良し悪しは別として安全パイの処世術。
『賢い鳥は役人の家にとまる :Chim Khon do noc nha quan』
‘寄らば大樹の陰‘ 一家一族が安寧安全の為、権力権威に迎合し、太鼓持ちになって立ち回れる人生航海術は誰もが考える事かも。‘水清ければ魚棲まず‘
だが、人の世が義を貫き、真面目な人ほど損するのが常なのは古今東西万国共通の定め。
『右足、左足を蹴る :Chan nam da chan chieu』。‘自業自得‘‘身から出たサビ‘ そんな無理を重ねると何時か必ず綻びが出てくる。
 
人生とは一般的に‘衣食足って礼節を知る‘のです。ベトナムではこれを、
『飽食は仏様になる、飢えは悪魔になる :No nen but doi nen ma』
『富貴は礼儀を生む :Phu qui sinh nghia』となります。
 
幸と不幸は表裏一体、‘禍福はあざなえる縄の如し‘。
『不幸には幸福がある :Trong cai rui co cay may』
『苦あれば 楽あり :Bi cuc thai lai』中国の言葉『否極泰来』からで、いつまでも安泰なんて在り得ません。死ぬまで修行しても足りぬもの。
 
何時の世も、何れの世界でも、人生もビジネスも回り道クネクネ。直線、速球だけでは目標通り思い通りには行かないもので、敬遠も変化球も必要。
理想とは山の彼方の空遠くか夢の中だけのこと。どんな立場になっても不合理と不条理、不平等は人がいる限り、権力・組織が存在すれば付いて回ります。こんな時に生きてくるのが諺の意義。(了)

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生